▪︎回顧

子供の頃、新聞の折込チラシを見るのが好きという変な子供だった。
あ、今も変か…。昔から広告眺めるの好きだったのね、と振り返って今気づく。

物心ついたときから絵を描くのは好きだけど、裕福とは言えない家庭のため新しい紙を買って欲しいなどとも言えず、チラシの裏がブランクのものをもらって、その裏に描いていた。

土曜は特にチラシが増えるので、母が買い物のためのチェックし終えるのを待って、いらないものをもらって描く。姉弟はチラシどころか新聞にすら見向きもしないのに、私はチラシも新聞も読む。変な子、といつも言われていた。
絵を描くことについも親からは「お前は(親族内の)突然変異だ」と奇特な目で見られていた。
決していい意味での言葉ではなく、「そんなもんでお前なんかが食っていけるわけがないだろう」の意味。
私も下手の横好きで上手くはないし「好き」というだけで職業にできるとまでは思わなかったけれど、美術系高校に行きたいとはほんのり思っていた。しかし親はいい顔しないし、同学年で複数人ガチ本気の人がいた上に合格者は1校2人までということで、諦めて商業高校へ。
大学進学はもちろん、経済的な理由であきらめ高卒で事務員として就職。

高校卒業して数年事務員をして、そこから自力でゲームデザイナーになり、結婚して子供が生まれた。
離婚するということになった時、3歳の子供を一人で育てるなら、もうクリエイティブの仕事はできないな、と完全に諦めた。
しかし事務員で応募し、経歴をおもしろがって拾われた会社で事務兼デザイナーをし、さらに紆余曲折あってWebデザイナーとしてそのまま細々と続けられている。

先述の通り、家庭環境で絵を描くことや学ぶことを諦めたのに、なぜか仕事で画像を作る仕事をし、中学の時にはすでに諦めていた美術大学に通っている。
人生ってどこでどうつながるかわからないものですね。

あともう一つの転換ポイントは、家にパソコンがあるのが珍しい時代に、働きに出てから自分の貯金でパソコンを買ってパソコンスクールに通って自分でいろいろいじっていたことだと思う。この時も、親姉弟から不審者を見るような目で見られた。「女のくせにパソコン??パソコンって気持ち悪いオタクが触るやつでしょ」という認識の時代。アナログのままだったら、今この職には絶対に就けていなかったと思う。
結局、自分の興味行動で道ができていたんですね。

閑話休題。

もらったチラシを捨て紙として使う前に、私もそのチラシを眺める。
何が楽しかったかというと、色使いやレイアウトの各種違いなんかを無意識に見ていたように思う。あとレタリングのおもしろさ。Big -Aは、黄色い紙に黒の堂々とした線と画で、いつも目立ってた。ヨーカドーやマルエツなどは、それぞれ特色というかフォーマットはあるけれどお行儀良い感じ。オープンハウス・見学の不動産系チラシは、みんな明朝体だなあとか、モノで来場者釣るの必死だなあとか(笑)。ファミリー層を狙うから、あしらいも賑やかでかわいい。美容系はオシャレな装飾が目を惹く。整体院っていつも似たようなモノだな(一時期、新聞折込広告を手配する会社でパートをして、そこで整体系のチラシ制作も請け負っているからだと知った。まさか子供の頃の疑問がここで解決するとは笑)…とか。

やりたいと思ったことは、無理をするまでいかなくてもやれるところまでやったほうがいい。
いつかどこかでつながるから。